かなり前、「NOと言える日本」と言う言葉があり、時代だと思った。
戦後アメリカ占領統治、アメリカの支援などもあり、日本はアメリカの言う事にNOと言えなかった。
それが、「NOと言える日本」になるべきだという主張に変わった。
そして、今、再び「NOと言えない日本}に逆戻りしている。
独立国かよ? と、疑うような事が普通のようにまかり通っている。
ただ、岸田総理以下政治家は皆そんな認識はないようで、空威張りしたポーズでいきがっている。
おかしい位に・・。
NOと言うのは勇気がいる。
アメリカなどでは、YES,NOをはっきり言う。
日本は、どちらかと言うとボカしてあいまいな態度をとる。
話は少し違うが、今朝の琉球新報に「故人の略歴」という広告が載った。
死亡広告に、故人の略歴を掲載する場合、「一行ごとに六千五十円」というもの。
たった一行で六千五十円?
それこそNOだ。
人を馬鹿にするのはやめてほしい。
ありえな非常識な高額設定だ。
一行六千五十円かかるとすれば、琉球新報の月額購読料は数十万円になるのでは?
その超高額掲載料金が社告として堂々と掲載され続けている。
誰もNOと言わないのだ。
自分は前からおかしいと思っているのだが、段々自分がおかしいのかと思ってしまう。
嗚呼!
戦後アメリカ占領統治、アメリカの支援などもあり、日本はアメリカの言う事にNOと言えなかった。
それが、「NOと言える日本」になるべきだという主張に変わった。
そして、今、再び「NOと言えない日本}に逆戻りしている。
独立国かよ? と、疑うような事が普通のようにまかり通っている。
ただ、岸田総理以下政治家は皆そんな認識はないようで、空威張りしたポーズでいきがっている。
おかしい位に・・。
NOと言うのは勇気がいる。
アメリカなどでは、YES,NOをはっきり言う。
日本は、どちらかと言うとボカしてあいまいな態度をとる。
話は少し違うが、今朝の琉球新報に「故人の略歴」という広告が載った。
死亡広告に、故人の略歴を掲載する場合、「一行ごとに六千五十円」というもの。
たった一行で六千五十円?
それこそNOだ。
人を馬鹿にするのはやめてほしい。
ありえな非常識な高額設定だ。
一行六千五十円かかるとすれば、琉球新報の月額購読料は数十万円になるのでは?
その超高額掲載料金が社告として堂々と掲載され続けている。
誰もNOと言わないのだ。
自分は前からおかしいと思っているのだが、段々自分がおかしいのかと思ってしまう。
嗚呼!