市政100周年の那覇市。
新聞に変わりゆく那覇市の街並みという写真が掲載された。
その中に、琉球政府ビルから眺めた那覇市の風景が目にとまった。
1952年の撮影だ。
10歳、小学校5年生の頃の写真だ。
久茂地交差点付近だ。
武徳殿も写っている。
戦後7年。コンクリートの建物なども建ちつつある。
沖縄タイムスなども崇元寺から移ってきていたかもしれない。
懐かしい。
タイムスの隣の琉球放送で働くとは思わなかった。
この頃、時々思い出す風景。
波の上海岸に打ち上げられ朽ちた軍艦。
漫湖にあった上陸用舟艇の残骸。
我が家近くに残っていた軽便鉄道の客車。
いずれも戦争の傷跡だ。
そこで70年近く暮らした。
復興、成長してきた。
いい時代になったが、基地の島の宿命が付きまとう。
しかし、不死鳥のように蘇ってきた那覇市、沖縄。
輝かしい未来であってほしい。
新聞に変わりゆく那覇市の街並みという写真が掲載された。
その中に、琉球政府ビルから眺めた那覇市の風景が目にとまった。
1952年の撮影だ。
10歳、小学校5年生の頃の写真だ。
久茂地交差点付近だ。
武徳殿も写っている。
戦後7年。コンクリートの建物なども建ちつつある。
沖縄タイムスなども崇元寺から移ってきていたかもしれない。
懐かしい。
タイムスの隣の琉球放送で働くとは思わなかった。
この頃、時々思い出す風景。
波の上海岸に打ち上げられ朽ちた軍艦。
漫湖にあった上陸用舟艇の残骸。
我が家近くに残っていた軽便鉄道の客車。
いずれも戦争の傷跡だ。
そこで70年近く暮らした。
復興、成長してきた。
いい時代になったが、基地の島の宿命が付きまとう。
しかし、不死鳥のように蘇ってきた那覇市、沖縄。
輝かしい未来であってほしい。